仏教 伝法

自己観察

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続・自分を観察する

そのための第一の方法は、まず、自分の思考状態を見張ることから始まります。言い換えれば、自分が、今、何を考えているかを、あたかも第三者の目で見るように、観察することです。

この第三者的な目というのは、単に、他人の目というより、もっと深い意味を持っています。一言でいうならば、誰にも味方しない者の目で、ということです。
相手でも、彼でも、そして私でもない、あらゆる人称がなくなった者の目で観察するのです。
すなわち、在ることを、在るがままに見るわけです。

例えば、ある人が、あなたを「嘘つき」だと非難したとします。そしたら、あなたは、「嘘つき」と言われた事実を、じっと観察するのです。

この時、あなたは、その非難された原因がよく解らないまま、「私は至らない人間ですから、嘘つきでしょう」と言えば、あなたは非難した彼に味方しているのです。
それは、しばしば、謙遜という意識行為で、そうなります。
もし、あなたがムッとして、そんなはずはないと言えば、それは自分(私)に味方しているのです。

そこで、誰のサイドにも立たず、ただ事実だけを調べてみる。
すると、自分がかつて、彼に嘘を言ったことを思い出したとします。
つまり、あなたは、自分が嘘つきであることを発見したのです。

注意して欲しいのは、これは正直であろうとか、人間的に立派な態度であれ、とかいうことではありません。
ただ在ることを、在るがままに見たに過ぎないのです。

称賛も非難もなく、観察は、単なる「発見と理解」でなければなりません。

どうしても、嘘をついた覚えがなかったら「私は、よく調べたが、その事実を発見することはできなかった」で良いのです。

要するに、それは、「意識内における真実在を見つけること」です。
そして「それを見つけること」が「サトル」ことに他ならない、と私は考えているのです。

さて、このようにして、例えば、自分が「嘘つき」であることを発見したとします。
この時、あなたは不思議な体験をします。それは、いささかも不愉快な気分になっていない、ということです。

これはなぜかというと、あなたは、誰の目でもない目をもって、自分の意識を見ているから、そこには、感情の波立ちが一切起こらない、ということなのです。

これは、心の状態が、静かな澄みきった湖のような状態であることを示します。この静けさこそ、悩みから解放された状態であり、この時あなたの中へは、生命エネルギーがどんどん注ぎ込まれているのです。

[出典:会報Enjoh-2017年1月号-無能唱元の書斎から]

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