ten1ko2さんのブログ「いつも私のとなりに神さま【家庭連合会員のブログ】」の「もはや人間の姿ではない?! 地獄に堕ちた人々 《浅川先生霊界シリーズ》地獄篇4(http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/464970370.html)」の記事を引用させていただきながら、読んで感じた事をお話します。
昔からの本を読むと およそ 同じことを言っている
自殺した魂は 生きていた時の 苦しみどころじゃ ないそうだ
本当かどうかは わからないけど 信用している
(樹木希林)
【出典:http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/464970370.html】
浅川先生の霊界シリーズ
今回は、「地獄人の霊人体」です。
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さて、地獄に落ちた人間は、人間の形をしていません。 地獄に落ちた人間の体、形相、姿はどのようになっているのでしょうか。 死後四十日間、人間が本性を現す期間がある、と前節で述べました。
正体が明るみに出るというのは、その人自身の本音の部分、本性が明らかになるという意味です。 そうすると、その人の本性に応じて体が変形していくというのです。 それが、この地上の体と霊人体の違いです。
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この世は悪い思いをもっている人でも、人間の形をしています。 しかも人をだますときは、善人のそぶりを見せます。 だから人をだますことができるのです。 この地上においては、どんなに悪い性格であっても、人間の形が変わることはありません。
ところが霊界に行くと変わります。 霊人体は人間の心根によって、その姿が変わっていくのです。 霊人体を見れば、その人がどういう心根の持ち主かが分かるのです。
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いつも怒って人にかみついている人は、霊人体の歯が牙のようになって突き出ているのです。 人に飛びかかって苦しめるのですから、その姿は獣に変わっているというのです。
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さらに醜い姿に変わる人がいます。 それが色情の因縁に狂った人なのです。 人が愛欲でだますとき、必ず「愛している」と言います。 愛を語ります。 本当に愛しているかのように語らなくてはだますことはできません。
しかし自分の心の奥底では、相手の肉体のみを求めています。 自己の肉欲を満たすために、「愛している」という言葉を語ってだましているのです。
その人の舌は二つの言葉を語っているわけですから、霊界に行った場合、舌は真っ二つに分かれるというのです。 そして愛欲で相手を抱き締め、がんじがらめにするのですから、手足が体に付着し離れなくなるのです。
肉欲と色情に狂った人は、毒蛇の姿に変わるというのです。 その形相が蛇のように見えるというのです。 この姿が地獄の中では最も恐ろしい姿です。 地獄の底は蛇の姿をした人間がうごめく世界です。
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また、地獄に落ちた人の霊人体はまだらです。 すっきりしたきれいな姿はしていません。 斑点(はんてん)がついているというのです。 なぜまだらになるのでしょうか。
実に不思議なことなのですが、その人が地上で犯した罪が、黒い点や赤い点や紫の点に色分けされ、霊人体にすべて記されるようになるからです。 例えば、公金を盗んだ場合は、黒い斑点として霊人体に付着します。
多くの女性、男性をかどわかしながら罪を犯した場合は、紫の斑点として付着します。 色はそれぞれあるかもしれませんが、霊人体を見れば、地上で何をなしたかが分かるというのです。 まだらの薄気味悪い霊人体になっているのです。
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そればかりではありません。 人を苦しめれば、その苦しめた部分が自分を苦しめることになります。 目がえぐられている人がいたとします。 その人は地上で人の目をえぐり取った人だったのです。 人の目をえぐり取ったので、霊界に行くと、相手に与えた目の苦痛を自分が味わわなくてはなりません。
また手足がなくて、這(は)っている人がいるとします。 他人の手を切り、足を切ったがゆえに、自分の手と足が切られているのです。 ある人は胃腸が飛び出ている人がいます。
その人は他人の胃腸をつまみ出して殺した人に違いありません。 その報いを受けているのです。 そのような姿の人たちがいる所が地獄です。
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地獄にも底があります。 この地獄の底にはどのような人たちが住んでいるのでしょうか。 色情と肉欲に狂って、多くの人たちを苦しめた人たちと、自殺をした人たちです。
多くの自殺者は、人生の不幸と苦しみの中で絶望し、自分の命さえ絶てば、苦しみから解放されるのではないかと思って、 自分の命を絶つのです。 しかし霊界においては何の解決にもなりません。
ならないどころか、自殺したときの何倍もの苦痛を背負って、永遠に生き続けなければならないのが、自殺者の宿命なのです。
自殺を図ってよみがえったある臨死体験者は、「私は恐ろしい場所へ行ったのです。一瞬のうちに、自分が犯した過ちに気がつきました。あんなことをするんじゃなかったと思いました」と言っています。
また、自分のことしか考えられず、他の人の命を奪い、愛を奪った人たちのうごめく世界が地獄なのです。
浅川 勇男・著(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)第三章 地獄とは 地獄人の霊人体
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先回も書いたと思いますが、地獄の世界は、本当に、悲惨極まりないし、絶対に行きたくない! そう思わざるを得ません。。。 画像をアップしましたが、おそらく、それ以上に悲惨でしょうね。
森山先生の講話だったか、自殺者と色情の霊は地獄の底にいるが自殺者の霊界は、正確には、その底から、また一段ズドンと落ちたところにあるということでした。 地上で苦しかったから、あの世では楽になる・・・ そう思って自殺をしても、決して楽にはならないのですね。
樹木希林さんの言葉はとても印象的だったので、載せてみました。 何かの信仰を持たれたわけではないと思いますが、あのような言葉を語られる、というのは、ご自身の良心で感じていかれたのだと思います。
地獄の記述はまだあります。 浅川先生は、地獄に関して相当、研究されたのですね。。。 また、私たちがそういう世界に、絶対に行って欲しくない・・・ そんな親心を持っているとも思います。 肝に銘じていきたいです。
【出典:http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/464970370.html】
教育部長さんの人となりを良く存じてはおりませんが、文章から察するにとても穏やかな方なのだろうと思います。争いを好まず、和と礼式を重んじる方なのではないでしょうか。きっと、周りの食口の皆さんからの信頼も厚い方なのでしょう。
地獄の話、自殺者の話があったので、関心を持って読ませていただきました。率直に言わせてもらえば、せっかく良い話をされているのにちょっと薄味だったように思います。もっと読者の心に響くような言葉を書いていただけると嬉しいです。
拉致監禁を体験していらっしゃるとの事、大変な経験だったと思います。私などはその経験がありませんから、そこで復帰した心情を教えていただければ、未体験の食口たちの心に響くと思うのです。「貴重な経験で得た心情の共有」こそが、食口の皆さんの望むものではないでしょうか。
自殺に関しては、私は40年間考えてきました。思春期の頃から自殺願望が強くあって、霊界に関心を持つようになりました。霊の親に「霊界を学べるところがある」と紹介されて伝道されたのです。
私の経験から、自殺に関して考察してみます。一言で言えば、自殺の動機は「苦しみからの解放」であり、それは「痛みからの解放」だと思います。
非常に感受性の強い私は、子どもの頃から生きづらい人生を送ってきました。人々の心無い言葉が、ナイフのように痛いのです。矢のように心に刺さってくるのです。
父がとても口の悪い人で、特に母や祖母に対してひどい言葉を吐きました。兄は父の影響を受けたのか、同じように言葉が悪くなっていきました。家の中で飛び交うひどい言葉が、私にはナイフのように痛かったのです。それが直接に自分に降りかかってはこなくても、その環境にいた私には耐えがたいものでした。
人は誰でも肯定されると喜び、否定されると悲しみます。肯定の言葉が良薬になるなら、否定の言葉は毒薬になります。毎日毒薬を飲まされていると、どんなに元気な人でも病気になります。
共感性が強すぎて、母や祖母の心の痛みが自分の痛みのように感じられました。自分が否定されているわけではないのに、自分が否定されているように感じて育ったのです。
いつも心と体が遊離している感覚がありました。 体は現実世界にいるのに、心はどこかに飛んでいるのです。この感覚を説明するのは難しいのですが、とにかく息苦しいわけです。一言で言えば、「生きているのが辛い」と。
病気で体が痛い人は、とても耐えられるものではありません。私も、二十代の頃のむち打ちの後遺症で首痛があり、首から上を取り替えたい衝動に駆られる時があります。
ただただ痛みから解放されたくて自殺を望む人に、「地獄は大変だから自殺は止めた方が良いですよ」と言っても、あまり心に響きません。今の苦しみから解放されたい一心なわけですから。
具体的にその痛みを取り除いてあげない限り、その人に自殺を思いとどまらせる事は出来ないのです。生き地獄とはそういうもので、いじめを苦に自殺する人たちはまさに、「針のむしろ」に刺されながら生きています。
常人の心を持つ人が、「針のむしろ」で刺されながら生きる事は容易ではありません。「この生き地獄はいつまで続くんだろう」それがいじめを苦に自殺する人たちの最大の関心事です。いっそ心が壊れたほうが楽なのです。
こんな私が未だに自殺しないでいられるのは、地獄への怖さではなく、愛する人を悲しませたくない思いがあるからです。
十年近く前に、知人が自殺しました。彼はどう思っていたかわかりませんが、私は友人だと思っていた人です。突然、誰に相談する事もなく自ら命を絶った彼。どうしてわかってあげられなかったのか、とても悔しく思いました。
ただの友人でさえこんなに苦しいのに、愛する妻や子どもたちならばどれほど辛いでしょうか。彼らに責任はなく、私自身の問題なのですが、自分に非があったのかも知れないと思う事でしょう。
愛する人を苦しめるぐらいなら、自分が苦しんだ方が楽。それが私が自殺をしない理由です。
高い所に行くと飛び降りたくなるので、そういう場所には行かないようにしています。なかなか理解してもらえないと思いますが、これが私の偽らざる本音です。
わかってもらえなくても良いのです。私のような人には「自殺はいけないよ」という言葉よりも、ただ黙って涙を流してもらった方が、「ああ、この人のために死んではいけない」と思うはずです。
私自身をさらけだす事で、皆様に何か感じてもらえれば幸いです。