仏教

ブッダ最期のことば~大般涅槃経

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自分自身を島とし、自分自身をよりどころとして生きよ。それ以外のものをよりどころにしてはならない。
ブッダの教え(法)を島とし、ブッダの教えをよりどころとして生きよ。それ以外のものをよりどころにしてはならない。

ブッダが『最後の旅』で説いたもの―
それは2500年受け継がれる「組織のあり方」だった

合理的な知恵によって心の本質を見極め、苦しみからの脱却を目指そうとしていたブッダ。彼が死の直前に私たちに残そうとしたメッセージとは何だったのでしょうか?
仏教を【自己鍛錬システム】ととらえる視点で、ブッダが最期の瞬間まで自らの姿を通して示した【人間のあるべき生き方】、長期に渡って維持・存続する組織の条件を問う【組織論】などを、「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」から読み解いていきます。

涅槃への旅立ち

『釈迦の仏教』では、『出家して修行する』という生き方を最重要視します。人は出家してひたすら修行し、心の中の煩悩を消し去ることで、真の安楽に達することができる、という修行中心の生き方です。

ここで言う『出家』とは、ブッダが作ったサンガという組織に入り、あらゆる生産活動から解放され、僧侶として朝から晩まで四六時中修行に励む、そんな生活へと人生を切り替えることを意味します。

ですから『釈迦の仏教』にとっては、サンガという組織は、修行生活を維持するために絶対不可欠な要素です。

組織論について書かれた経典というと、書店ではやりのリーダー論や、帝王学などをテーマにしたハウツー本の類を連想する方がいらっしゃるかもしれません。しかし『涅槃経』には、たとえば『論語』のようにビジネスの役に立つ要素はほとんどありません。

なぜならサンガのコンセプトは『拡大』ではなく『維持』にあるからです。仏教は修行の宗教ですから、修行の場としてのサンガをできるだけ長く、平穏に保っていくことを第一義に考えます。そのため、成長や利益拡大のヒントはそこには見つかりません。

ブッダは最初に『すべてのことは会議を開いてみんなで決めなさい』と民主的な組織づくりを提唱していますが、これは裏を返せば『特定のリーダーや権力者を作るな』というメッセージにも読みとれます。

自分というリーダーがいなくなった後、組織をそのまま同じ形で存続させていきたいと考えるなら、『私に代わる立派な指導者を選んで、その人に従って生活しろ』と言ってもよかったはずです。

にもかかわらず、ここでブッダは『リーダーに従え』とは言わず、『全員で運営していけ』と指示しているのです。言葉には出さずとも、おそらくは『リーダーを置かないことが大切だ』と考えていたのでしょう。

そして本当に、仏教のサンガはリーダーなしで運営され、それが2500年も続いてきています。『涅槃経』が語る組織論は、実際にサンガを2500年間も維持してきたという実績を持っているのです。

自灯明・法灯明の教え

ブッダは最後の旅において、自分の死後に指標となるような教えを繰り返し説き続けた。その代表例が「自灯明・法灯明の教え」

「私がいなくなっても真理の法は生きている。自らを灯明とし自らを拠り所としなさい。法を灯明とし法を拠り所としなさい」

この言葉は、自分の死後リーダーが不在になったとしても、修行を続けていける方途を示したもの。いわば「教祖」のようなものを否定した画期的な教えです。

『自分自身とブッダの教え、この2つだけを島として生きよ』
島というのは川の中の島、つまり中洲のような場所を指します。洪水にあって流された人が必死でもがいている時、川の中洲(島)につかまることができれば、それを頼りにして命拾いすることができます。

島とは、『苦しみの洪水に流され続けている私たちが、そこから逃れ出ることのできる唯一の拠り所」を意味しているのです。

その島が『自分自身』と『ブッダの教え』の2つだけだ、と言うのですから、ここでブッダが語っているのは、『私が死んだ後にお前たちが拠り所とすべきものは、私がこれまで語ってきた教えと、そしてお前たち自身の努力だけだ』ということになります。

この遺言こそが、『自洲法洲(じす ほっす)』と呼ばれる、仏教世界で最も有名な教えのひとつです。洲は島のことですから、『自分と法を島にせよ』という文字通りの意味を表しています。

仏教とは、ブッダを神のようにあがめる宗教なのではなく、1人の人間としてのブッダが説き残した、その言葉を信頼する宗教であり、しかもその言葉を単に床の間に飾っておくのではなく、言葉の指示に従って自分自身で努力していかなくてはならない宗教だ、ということなのです。

仏教の本義は、自分の努力で自分を変えていく『自己鍛錬の道』だということをきわめて明確に示しているという点で、『自洲法洲』の重要性はいくら強調してもしすぎることはありません。

自分だけを拠り所にすると自分勝手になる。
ブッダの教えだけを拠り所にすると狂信的になる。
教えに沿って自分で努力せよ!

自灯明・法灯明を実践するための四念処(しねんじょ)

【身・受・心・法】

身=肉体
肉体をかけがえのない美しいものと考え執着が生まれ苦しみが生じる
受=外界からの刺激に対する感受作用
いつまでも楽しい事が続くとかんがえるがそれは年とともに減っていく
心=我々の心
自分の心は同じ思い出は続いていない
法=この世のすべての存在要素
この中に絶対的要素として私が存在すると考えることで苦が生じる

[画像出典:https://buddha.pink/buddhism/29]

 

三十七菩提分法(さんじゅうしちぼだいぶんぽう)

三十七道品(さんじゅうしちどうほん)とも。パーリ語経典長部の大般涅槃経 (上座部)、漢訳の中阿含経などに説かれた、仏教において悟りに至るための三十七の修行法のこと。
道品とは修行項目のことで、三十七品、三十七分法、三十七覚分ともいう。

四念処(四念住)・四正勤(四正断)・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の七科に分かれる。

八正道(はっしょうどう)

1.正見(しょうけん)
2.正思惟(しょうしゆい)
3.正語(しょうご)
4.正業(しょうごう)
5.正命(しょうみょう)
6.正精進(しょうしょうじん)
7.正念(しょうねん)
8.正定(しょうじょう)

『正』……煩悩が消えて苦しみがなくなっていく方向性
『正』の反対が『自我』……我が強いということが苦しみを生み出すもとになる。

弟子たちへの遺言~組織運営の正しいあり方

お前たちは「我々の師はもうおられない」と考えてはならない。
私の説いた教えと、私の定めた法律が、私亡き後の師である。

弟子たちに対しては「葬儀のあり方」「修行の大切さ」「時代にあわせて柔軟に戒を運用すること」を伝えるなど、最期の最期まで、自分の死後に残された人たちが困らないよう細かい心配りをするブッダ。それは、生涯をかけて積み上げてきたものだけが示せる荘厳な死だった。

ブッダの死が意味するものやそれを私たちがどう受け止めたらよいのかを考えるとともに、仏教やそれを支えるシステムが、ブッダの死後2500年以上も長きにわたって存続してきた秘密に迫る。

[出典:https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/42_buddha/index.html]

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