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【山田耕榮】ラジオ『裏のない10分の時間』より-07

更新日:

裏のない10分の時間 第7回:2006/11/18(土)放送

ラジオ日本(1422KHz) 毎週土曜日06:50~07:00【文字起こし】

今日はご相談者の方がスタジオに来ていらっしゃいます。
そしてこれは相談というよりは、『悩みを共に観る』といったほうがよいと思います。
二人で、お互いが協力していっしょにその悩みを観るということが、この裏のない10分の時間の相談の主旨です。

相談者47歳:男性
仕事もおかげさまで上手くいっているんですが、本気ってなんだろう?もっと真剣になれないかって、常に自分で思うときがあります。
本気のつもり、真剣のつもりはもうやめたいのです。
どうしたら本気にもっともっと生きることができるのか?
それを先生にお尋ねしたくて参りました。

山田耕榮
いま話をきいてますと、仕事が上手くいってるといいますが、その中に反抗的な言葉がありますね。
それは、まだ自分のやりたいことをやってないじゃないのか、もっと自分の思い通りにしたいという、そこの『点』がしっかり握られているんですよ。

その『点』を握っていながら、自分が本気になろうとしても、本気ということはどういうことか、
『ほんとの気』ですね、『ほんとの気』ということはカタチがないということなのです。

『自分の思い通り』を握っていて、本気でやろうと思ってもそれは『自分のため』の本気なんですね。
それは自分のやりたいことであって、私たちがしようとしている本気という、使命、役割ではないのです。

そこのところ、もう一度、自分に嘘をつかないで、真剣に自分の心を、
自分がまた自分の心を見るということになったら、
またそれは自分が映し出したものを自分が見てますから、
それはカタチを変えるだけなんですね。

だから、ほんとに自分を見るということは、自分のよいところ悪いところを自分のなかで、
これが良いとかこれが悪いとかいうその、『良い・悪い』の判断をなくしたとき、私たちはほんとの自分がそこで見えてくるのです。
どうですか、そこのところは…

相談者の返答
(中略)
自分は事実をみることがまだまだ甘いんじゃないか、と思っているんですけども…

山田耕榮
私たちの人生の中で三つの場所からの答えがでているんですね。
まずは、『自分の見たいように見た人』からの答えですね。
これは、全部自分の都合のいいような答えなんですね。
そこには必ず『良い・悪い』というものが必ず大きなウエイトを占めています。

次の二つ目の見方は『現実を見る』ということなんですね。
『現実を見る』ということは、私が居って、そしてそこに『良い・悪い』の判断をしていないんですよ。
だけど、それは結局は『私』というものがありますから、それは答えはそこにないんですね。

『私の答え』というのは、自分だけの答えである、
ということは他の人に対してはそれは答えではないんです。
それは、俗にいうと『問題』になってしまいますから、
そして現実をみたとき私たちは答えを出したと思っているんです。

だけど、現実というのは『私』がまだそこにいるんですよ。
『良い・悪い』は、これはもうどうでもいいから、
仕方ないからといって『良い・悪い』をただ外しただけであって、
ほんとに『良い・悪い』がそこで終わってないのです。そこには答えはないのです。

そしてもう一つの見方が、『事実から見る』ということです。
で、『事実から見る』ということは、そこには『良い・悪い』もないし、『私』というものは存在していないのです。

そのときは何があるかといったら、
そこには『事実』という答えがあるだけなんですね。
答えは『良い・悪い』もなくて、『私』もいないときなのです。

それが、ほんとの私たちがそこで本気になれる、
そしてそれはほんとに自分たちが幸せを奪うんではなくて、
私たちがほんとは持ってる幸せをどのように表現していくかという、
そういう立場に今度私たちの日常生活が変るのです。

そのときほんとの幸せを自分が幸せを作りだしている、幸せは外から奪うものではなく、
私たちはひとりひとり『いのち』があるということは、
みんなが『いのち』というのは、幸せなのです。

その幸せをどのように私たちが表現していくかが、
私たちがこの地球でやっていかなくちゃいけないひとりひとりの役割だと思ってます。

そして相談者の方もそのようにほんとにもっと事実を見る、
事実を見るということは現実をまだ見て話していると思っています、
現実を見て話をしていると、そこは非常に自分ではわからないけど、偽善者ということになっているんですよ。

偽善者は全部『つもり』なのですね。
『つもり』はどこで解釈されているかというと、『つもり』は全部、頭の中です。
そういうところ、よく、もう一度見てみられたらどうでしょうか。

相談者の返答
~略~

山田耕榮
ここで、骨を折るようなカタチでものを言って申し訳ないんですが、
いま、話のしかたの中に、心が入ってないんです。
なぜ心が入ってないのか。
まずその、話ですね、もう一度つっこんでくださいといったとき、もうそこで心が入らなくなっちゃったんです。
なぜ入らなくなったかというと、自分を守るということで、
無理に演出しなくちゃいけないんじゃないかという、そういういま質問が飛んできたんですね。

それは、ここだけの会話でなくても、日常生活のときでも必ず、ある程度までやっているんだけど、
ある程度から心が入らなくて、自分が保身にまわって、そして保身からの言葉、思い、行動が出てると思うんですよ。
だからそこのところよく注意されないと、非常に難しいところがあると思います。

はい、今日は相談者の方にきていただきまして、どうもありがとうございました。

なんか自分はそんなこと思っていないのにというようなことをこちらからら言わせてもらいましたけど、
失礼なことを言ったとおもいますけど、だけど『事実』を言いました。
『現実』も私が見たいように言ってませんから、そこのところよろしくご理解してほしいとおもいます。

 

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